200 武田神社(山梨県甲府市古府中町) | ||
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武田神社は甲府駅の北、約2キロにある神社です。アクセスは甲府駅北口を50mほど西進した最初の信号を右折します。右折すると武田通り(参道)となりますので、そのまま約2キロほど走れば武田神社に突き当たります(写真右=武田通り)。車は神社前にも置けますが、武田神社の直ぐ西側に相川小学校があり、その北側が駐車場になっています(乗用車75台分)。 | ||
武田神社は武田信虎が築造し、そのあと信玄、勝頼と62年間に渡り居住した館跡です。堀と土累を巡らせた主郭は一辺が218m。土累の幅は20mで堀の高さが17mあるそうです。大正天皇即位のおり従3位を贈られたのを機に社殿を造営して大正8年に竣工、鎮座祭が行われたそうです。 | ||
正面入り口の大鳥居をくぐっていくと拝殿に突き当たります(おみくじや御守りは拝殿の右で売っています)。石垣の上にも上れますが、雑草と樹木で荒れていますので上らない方がいいでしょう(マムシ注意の立札もあり)。 | ||
本殿は拝殿の奧にあり、その東側には宝物殿があります(9時半から16時半。大人300円、子ども150円)。実は、神社内への入り口は5ヵ所ありますが(うち北側からの1ヵ所は宝物殿の裏で行き止まってしまう)、そのうちの1ヵ所は宝物殿正面のすぐ東側にあります。現在は中曲輪へと続く南側を正面としていますが、戦国時代は東曲輪の門が大手門となっており、門の前には土塁を盛った馬出しが築かれていたそうです。また現在の正門は後年になって作られたもので、戦国時代には無かったようです。ここをクリックすると馬出しと配置図を説明した看板を表示します(92k)。 | ||
さて東曲輪から中曲輪へと戻り、中曲輪から西曲輪へと向かうと両曲輪の間には堀がまたがっています。北側は空堀で南側は水堀となっており、2つの堀は通路で仕切られています。水堀にはガチョウや白鳥が泳いでおり、この水鳥は永年、相川小学校の生徒の手により餌付けされています。更に西へと進むと藤村記念館が建っています(旧睦沢学校の校舎だそうですが、自身は中学生のころまで島崎藤村の記念館だと思っていました ^^A)。中を見ることも出来ますが月曜と木曜は休館となっています。ここをクリックすると藤村記念館の看板を表示します(45k)。. | ||
西へと進む道は藤村記念館で行き止まりです。ここからは南北に道が延びており、南へ進むと入った場所から約100m西の神社前へと出ます。以前、ここには相川駐在所がありましたが、現在は神社の西側へと移設されています。また藤村記念館を北へ進むと神社北側の出入り口へと続き、「お屋形様の散歩道」という遊歩道へ抜けられます。 | ||
「お屋形様の散歩道」を西へと進んでいくと約100mほどで県道31号線となり、駐車場の脇へと至ります。ほとんどの人は正面から入り正面から出ますが、入った場所から出るのでは面白くありません。散策には今回のルートがお勧めです ^^A | 武田神社を北側から望む。矢印の線は歩いたルート。水色は出入り口。赤丸は駐車場。 | |
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武田家の屋形跡・甲斐の旧府中として今でも「大手(神社南東)」「屋形(神社南西)」「古府中(神社北)」という町名が周囲を囲んでいます。躑躅ヶ崎城などとよばれる事もありますが、当初から築城しなかったため城などは無く堀一重の簡素な造りです(とはいえ最近では意外に堅固だったという説も)。近代的な公園のように雅やか施設はありませんが、境内にはトイレやベンチがありちょっとした憩いの場ともなっています。かつて戦国最強と称えられた武田家の旧跡を観に行っては如何?でしょうか。 | ||