216 長谷寺(山梨県東山梨郡春日居町鎮目) | ||
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国道140号の春日居町「鎮目北」交差点を北西に入っていくと、約300mほどで「岩堂峠」方向へと続く道があります。その道を上って行くと長谷寺の参道から移築したという「梵字橋」があり、長谷寺は更にその奧、菩提山の山腹にひっそりと建っています。梵字橋の説明板と長谷寺の説明板の拡大はここをクリック(新しいウインドウが開きます。約120k)。 | ||
長谷寺までは、ひたすら石段を上ります。何百段あるかは数えませんでしたが、終わりの見えない階段にヘトヘトになりながら10分から15分、ようやく長谷寺の前に着いたときには息も切れ切れの状態でした(ここでも運動不足を露呈)。 | ||
長谷寺の横には「体内くぐりの石」という石塔や石仏が建っており、穴をくぐれば安産になるといわれているそうです(右の写真は説明板)。 | ||
神社ではないので御神木とはいわないのでしょうが、寺の前には巨木が立っています。シンとした静けさの中、眼下には石和方向の町並みが見えました。1000年前には隆盛を誇ったといわれる長谷寺。幾多の僧侶が同じ山並みを見たかと思うと、ちょっと感慨にふけりました。なおこの奧には「血の池」「犀の河原」とよばれる場所があるようですが、此処までの行程以上の距離があり諦めました(というより、そこまでの道があるのかないのか・・・・)。 【長谷寺の歴史】 平安時代に柏尾山大善寺と菩提山長谷寺の間で問答による紛争があり、双方とも多くの死傷者を出す甚大な被害となったそうです。この紛争で大善寺の僧徒が長谷寺に協力した山梨岡神社の鳥居を持ち帰り焼き払ったそうです。勝沼町の鳥居焼きはこれが始まりで、現在でも山梨岡神社に鳥居がないのはこの為といわれています。またこれに対し、春日居町で4月の第1土曜日に行われる笈方焼は長谷寺の僧徒が大善寺より笈を持ち帰って焼いたのが始まりといわれています。歴史は時としてドラマのような筋書きを織りだしなんとも面白いものです。 |
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