218 新府城跡(山梨県韮崎市中田町中条)

新府城は武田勝頼が天正九年(西暦1581年)に築いた平山城です。正式には新府中韮崎城といい、織田信長の侵攻に備えわずか8ヶ月間で築いたそうです。県道17号(七里岩ライン)を北進していくと韮崎市中田町中条に小高い山が2つあり(写真左)、新府城跡へはその左側の山へと登っていきます。入り口は3ヶ所ありますが今回は南東側から入ってみました(他の2ヶ所については後述)。なお同地点の駐車スペースは数台ですが、数100mほど北側に専用駐車場があります(看板あり)。
山頂までは一本道で迷うようなことはありませんが緩やかな坂が続きます。坂を登っていくと、まず最初に「南大手門」が現れます。「南大手門」は馬出しにもなっており、勝頼の時代には土塁による構えがあったそうです(現在では草木に覆われ、素人目には何処から何処までが大手門だったのか殆ど分かりません)。更に1分ほど登っていくと「東三の丸」があり、こちらには土塁の跡があるので城郭の一端が朧気ながらも分かります。ここをクリックすると辿った経路の写真と看板を表示します。 
数分ほど登ると「西三の丸」となり、「東三の丸」と同様に土塁の跡が残っています。一帯は公園地帯になっているので樹木は適度に伐採されており、ここから西に目を移すと国道20号や韮崎の町並みが望めます。
頂上に近付くと「二の丸」の広い空き地が見えてきます。広いといっても30mX40mくらい?ですが、土塁の形状が残されているので輪郭がハッキリと掴めます。
「二の丸」と「本丸」は目と鼻の先です。写真は「二の丸」の土塁上から「本丸」方向を撮影したものですが、移動するのには1分もかかりません。
新府城跡というだけあって城は無く、頂上は東西90m、南北120mの広い空き地となっています。
本丸跡の一角には「藤武神社」が建っており、ここから県道17号へと下りられます(下りた地点は入った場所から100mほど北側)。ただ階段は非常に急峻です。足腰に自信のない方は横の乙女坂という参道を下りられた方が良いでしょう。
藤武神社の北西には「勝頼神社」があります。神社といっても石祠で社殿や鳥居はありません。地元では「お新府さん」といい、毎年卒去の当日には慰霊祭が執り行われているそうです。「勝頼神社」の裏に回ると八ヶ岳が正面に広がります。
さて、一度「二の丸」へと戻ると「西出構え」へと下りる道が「二の丸」の西側にあります。「二の丸」から「西出構え」へ下りると「東出構え」へと抜けられ、最終的には県道17号へと出て、新府城の山を半周するような形で元の場所へと戻れます。
「山を半周」などと書くと、とんでもなく時間がかかるように思えますが実際には1時間程度です。近くには「新府駅」があり、約5分で新府城跡に行くことができます。近代的な遊具はありませんが、非常に手入れがされており散策には最適です。気軽に出掛けてみるのもいいかもしれません。