241 湯村山城跡・湯村山展望台(山梨県甲府市湯村町)

湯村山から千代田湖へ抜ける遊歩道はこちらのページからどうぞ

湯村山周辺マップ
青い点が湯村山で、赤い点が湯村山への登り口です。

湯村山城跡のある湯村山は甲府駅の北西にある標高446mの小山です。標高はそれほど高くはありませんが、甲府駅に直線距離で約1.8キロと近く、南面に展望台があるので市街地を直ぐ近くに見下ろせます。登り口は湯村山の西側にあたる湯村温泉近く(湯村町側の周辺案内板を表示)からも登れますが、今回は東側の緑が丘町から登ってみました。緑が丘町側から登るには、まず緑が丘町の緑が丘スポーツ公園を目指します。緑が丘スポーツ公園に行くと野球場がありますので、その北側の道を西へと進みます(写真左)。約200mほど進むと右側にスポーツ会館の体育館(写真中央)が建っていますので更にそのまま進んでいきましょう。するとスポーツ会館の敷地が切れる場所に尚古園(写真右)という看板があり狭い道が山へと続いています。登り口は尚古園へ行く途中にありますので、そのまま山道へと登っていきましょう。
約200mほど登っていくと左側に武田の杜の案内板が立っており、左へと折り返すような道が続いています。ここが登り口となるのですが遊歩道なので車輌は入れません。また周囲に駐車場はありませんので、車の場合はスポーツ会館の駐車場にでも停めておきましょう。
一帯は武田家三代の施設、史跡、文化遺産が点在する武田の杜になっています。湯村山の山頂へと続く遊歩道にはベンチ(写真左)やトイレ(写真右)が設置されており、途中には約1300年前の湯村山1号墳(写真中央)などもあります。湯村山1号墳は積石塚とよばれる珍しい古墳で、周辺からは7基の積石塚が確認されているそうです(看板の表示)。
また上段のトイレの場所はちょっとした展望所も兼ねており、先端に立つと甲府駅北側の景色を見下ろせます。写真正面の右へと突き出た先端が愛宕山422.9mで、北側は下積翠寺町や上積翠寺町辺りまでを見渡せます。ただ冬枯れしている冬季でも木々が邪魔をしてスッキリ見えないので夏期では見えないかもしれません(写真正面の下側に写る四角い屋根が入ってきた緑が丘スポーツ会館の体育館です)。
写真では急坂に見えるかもしれませんがお年寄りも頻繁に登っていきます。頑張って登っていきましょう。途中にはショートカットする道もありますが、急坂なうえ、冬季には木の葉で滑りやすくなっているので気をつけましょう。
さて、30分くらい登っていくとT字路(写真左)へと突き当たります。このT字路は右へ行くと千代田湖や白山へと行くことができますが、湯村山展望台へ行くには左へと曲がります。左折すると直ぐに湯村山の山頂が目の前に現れます。ここからは未舗装路となり、約30mほど先で道が3つに分岐しています(写真中央)。1番手前の分岐路を右に下ると湯村町へと降りていくことができます。また、その先の分岐路は右に行っても左に行っても最終的には展望台で繋がっていますのでどちらへ行っても同じです。今回は展望台までの往路を左側、復路を右の道で回っています。
右の道も左の道も湯村山の山頂を回り込むようにして続いていきます。距離的には左側の方が直線的なのでやや短く、T字路から200mほど進むと四阿の建つ展望台が見えてきます。この一帯がかつての湯村山城の本丸跡となりますが、現在ではその面影を偲ばせる物は殆どなく、唯一、井戸が残っている程度です(後述)。
展望台からは正面に富士山を見ることができます。富士山の下には境川の家並みが広がり、アンテナ群の建つ坊ヶ峰を見ることもできます。その手前は甲府市の中心街で、甲府駅から伸びる平和通り沿いのビル群などの景色が広がっています。
周囲の木々が邪魔をするので見える範囲としてはそれほど大きくはありませんが、甲府駅からの距離が直線で約1.8キロと近いため、他の景勝地よりも間近に市街地を望めます。
四阿の奧には先ほどの分岐路へと戻る道が続いています。その道を約30mほど進むと湯村山城井戸跡(写真右の丸印)がありますが、現在では深さは30センチくらいで埋められているので興味のある人でもなければ見ても面白くはないでしょう。
更にその先には石塔(写真左)があり、道は湯村山の山頂を東から西へ回り込むようにして続いていきます。そして四阿から5分ほど歩くと先ほどの分岐路へと戻ります。
さて話しは戻りますが、4段目の展望所(山頂の展望所ではなく)の少し手前に谷側へと下っていく細い道があります。その道を下っていくと展望所からも見える巨大な鉄塔の下へと降りることが出来ます。その鉄塔の横には石垣があり、かつての湯村山城の面影を僅かに偲ばせています。湯村山城は武田信虎(信玄の父)が躑躅が崎館(現在の武田神社)の支城として大永3年(1523年)に築いた山城で、南西方向を監視する役割と共に狼煙台の役目も担っていたそうです。湯村山の山頂部を中心に東西約65m、南北約130mの堅固な要害だったそうですが、今では歴史に埋もれ地元でも知る人の少なくなった山城です。なお、この道を更に下ると、最初に入った場所の約50mほど北側へと降りられます。