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 256 岩殿山 (ページ1)  場所:山梨県大月市
岩殿山は大月市にある標高634mの山で、「山梨百名山」「新富嶽百景」「秀麗富嶽十二景」などに選ばれている景勝地です。南側に巨大な鏡岩を覗かせた独特の山容は大月市のシンボルにもなっており、国道20号や中央自動車道からもハッキリと見えるので目にした方も多いのではないでしょうか。
岩殿山への行き方は非常に簡単です。国道20号でJR大月駅の北東にある「高月橋入口」交差点(写真左)まで行き、同交差点を北へと曲がります。「高月橋入口」交差点を北へ曲がると国道139号となりますが、ここには「岩殿城跡」という看板や交差点名の書かれた表示板(写真右)があるので間違うこともないかと思います。
国道20号から国道139号へと入って約1.5キロほど進んでいくと「岩殿上」バス停(写真左)が道の右側に立っています。登山口はその反対側から延びており、横には数台分の駐車場が設けられています。余り広い駐車場ではありませんが、入口には周辺案内板(写真右)や「←岩殿山」と書かれた看板も立っているので分かると思います。なお一般的には最短路となる南側の「ふるさと公園」側から登られる方が多いようですが、今回は東側から登っています(東側からだと約40分ほどかかりますが、南側からだと約30分ほどで登れるようです)。
入口から階段道が続きます。見上げるような急登な階段なので運動不足の身には少々堪えるかもしれません。場所によっては道横が急峻な崖となって落下しているところもありますが、殆どの場所で手摺りがついているので危険はありません。
駐車場から10分ほど登っていくと大月市街の景色(写真中央)が見え始めます。木々の間にチラチラと見える程度ですが、南東方向には岩殿山の東側を流れる葛野川や猿橋地区が見え、南側から南西方向にかけては岩殿山へ来る際に通ってきた国道139号や初狩地区を望みます。
駐車場から15分ほど登っていくと岩殿山の東側稜線上へと至り(写真左)、正面に岩殿山の山頂が見え始めます。右手の北東側には七保地区の町並み(写真中央)も見えますが、こちらも木々を通してなのでスッキリと見られず少々残念なところです。この辺りでは短い区間が平坦な道となっていますが、直ぐに元の階段道(写真右)へと変わります。
駐車場から20分ほど登り、山頂までの行程の半分を過ぎたころでしょうか。七社権現洞窟へと続く分岐路(写真左)が現れます。ペンキが剥げて文字は読みとれませんが、ここには看板(写真右)が立てられています。この分岐路を右に曲がっていくと、かつて円通寺の大乗、常楽という若い2人の僧が籠もったという洞窟があります。
七社権現洞窟までは急登でロープの張られた険しい道ですが距離的にはそれほどありません。数分も登っていくと間口10数m、奥行き7、8mの七社権現洞窟(写真中央)が現れます。以前は木造七社権現立像が祀られていたそうですが、現在は県の指定文化財に指定され甲斐百八霊場のひとつ「真蔵院」へ移管されているそうです。
さて七社権現洞窟の後は分岐点へ戻って山頂へと向かいます。分岐点の先も階段道となっていますが、暫く登っていくと南から南東にかけて大きく開けます。今までは木々を通して見える程度でしたが、ここからの景色は樹木も切れてスッキリと望めます。
 
更に幾重にも重なる九十九折れの階段道を進みます。道の左手は落下しており足下に大月市の街並みが広がります。暫くすると前方に西側の景色も見えだしますが、既に駐車場から登り始めて約30分。急登な階段道は不摂生な身にはかなり堪えます。
更に数分ほど進むと前方の頂にテレビ中継塔(写真左)が見え始めます。実はここが岩殿山で最も高い場所に位置し、戦国時代に小山田信茂が築いた岩殿城を跡地です。このころには階段道も終わり、勾配もやや緩い道となっています。左手前方に岩殿山のシンボルである鏡岩(写真右)が見え始めると残りも僅かです。
途中各所で大月市内の町並み(写真左)を見ながら約40分ほどもかかったでしょうか。最後の坂(写真中央)を登り詰めると、前方に広い空間(写真右)が見え始めます。
山頂と思いきや、頂上はまだもう少し先のようです。同地点は逆Y字型の分岐路となっており、左に曲がっていくと四阿のある兵舎跡地や南物見台へと続き、右に折り返すように登っていくと二の丸、三の丸を通って本丸跡地へと至ります。今回は先に本丸跡地へ向かいましたが、途中にあるはずの二の丸、三の丸は坂道となっているだけで素人目には判別できませんでした。
本丸跡地へは徒歩1、2分で到着です。岩殿城は戦国時代に武田二十四将のひとり小山田信茂が築城した城ですが、その堅固な城塞は駿河の久能城や上野の吾妻城と並び関東の三名城と言われていたそうです。戦国時代には狼煙台としても使われていたそうですが、現在は東西40mx南北20mくらいの平たい台地にテレビ中継アンテナと無線中継アンテナが建つのみで、東端部に東からの進入に備えたといわれる空湟(からぼり、写真右)が僅かに当時の名残を残すだけとなっています。
西へ視線を移すと四阿の建つ兵舎跡地を通して、中央自動車道や国道20号が西へと延びている様子をうかがえます。またその南側には高川山(975.7m)を挟んで南西方向へと広がる都留市の景色が広がります。さて、ここからはメインスポットである兵舎跡地や南物見台へと移動していきますが容量が大きくなったのでページ2へと写ります。

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