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258 荒川サイクリングロード(ページ2) 位置:甲府市西下条から甲府市山宮町 
ここからはページ1の続きです。
千秋橋を過ぎたサイクリングロードは次第に北西へと向きを変え、それに伴い甲府市中心部の景色も正面から右手へと移ります。千秋橋から1キロほど進むと前方に飯豊橋が見え始めます。飯豊橋は右手(北側)の相生町と対岸の高畑町を結ぶ橋で、橋上へ出ると県民文化ホールが建っています。 
写真左は飯豊橋上からこれから進む北西方向を望んでおり、左手(南側)が上石田町で右手が寿町界隈となっています。さて飯豊橋上からサイクリングロード上へと戻って更に進みます。飯豊橋を過ぎると鳳凰山、甲斐駒ヶ岳など南アルプスの山々が綺麗に広がります。
飯豊橋を過ぎると直ぐに国道52号の荒川橋(写真左)が前方に見え始めます。ここは一般道と接している唯一の場所で、サイクリングロードを進むには右横の坂を上って荒川橋へと上ります。ただ一般道へ出るといっても信号をひとつ渡るだけで、対面(写真右)からは直ぐにサイクリングロードが延びています。信号(荒川橋東詰交差点)のタイミングが悪いと何分も待たされたりしますが、青なら10秒もかかりません。ここまで起点から7、8キロといったところでしょうか。約半分ほど走ってきた計算です。
国道52号を横切って再びサイクリングロードへ戻ると飯田歩道橋(写真左と中央)となり、その下を潜って行くと200mほどで新荒川橋(写真右)へと至ります。新荒川橋は県道5号と県道7号の境界となっており、右手(北東側)の県道7号側には直ぐの場所に県営飯田野球場やNHK甲府放送局が建っています。
新荒川橋の下には早くも次の橋が見え始めます。これは県道106号の一部を成す長松寺(ちょうしょうじ)橋です。右手(東側)の飯田町と対岸の下飯田町を結んでおり、橋架横に立つとアーチ状の橋脚が幾重にも重なる面白い構図(写真右)が見られます。
長松寺橋の先には既にJR中央線の荒川橋梁が見えています。荒川橋梁は甲府駅から西へ約2キロというところでしょうか。県立中央病院の西側真横に位置し、荒川橋梁の直ぐ先には飯田河原古戦場慰霊碑が建っています。ちなみにこの飯田河原古戦場というのは大永元年(1521年)に今川家の福島正成が1万5000の兵で甲斐へと侵攻。武田信虎は大井夫人を要害山へ逃れさせたあと、同地へ布陣し僅か2000の兵で勝利。慰霊碑はこの合戦を顕彰し有志によって後年に建てられたものだそうです。なお武田信玄はこの戦のさなか要害山で誕生し、その山頂にはこれを記した信玄公誕生之地という石碑が建っています。
JR中央線の荒川橋梁を過ぎていくと次の橋が見えてきます。武田信虎が布陣したことから名付けたと思われる橋の名は陣場橋。それほど大きな橋ではありませんが、右手の富士見町と対岸の池田町を結んでいます。陣場橋の先は河川沿いも走れますが今回は土手上を走ります。左手には県立看護学校が見え、右手には富士見町の巨大なガスタンクを見ながら進みます。
陣場橋から暫く橋は現れませんが、約1.2キロほど進んでいくと水道管と平行に延びる音羽(おとわ)橋が架かっています。この橋は右手の音羽町と対岸の荒川町を結び、橋の裏にはサイクリングロードの標柱とトイレが設置されています。
音羽橋を過ぎて暫く進むと千松(せんまつ)橋が見えてきます。千松橋は右手(東側)の千塚町と対岸の旧中巨摩郡敷島町(現在は甲斐市)を結んでおり、橋上には県道6号が東西に延びています。県道6号は2車線だった道を交通量の増加に伴い4車線化にした道で、それ以来、死亡事故の多発する道として知られています。千松橋は千秋橋と並びテラス付きの橋となっており、テラスに付いた乙女の像(名称は知りません)が印象的な橋です。千松橋の直ぐ先には荒川サイクリングロードの看板が立っており、荒川に架かる橋間の距離など細かく出ています。
千松橋を過ぎるとサイクリングロードも終盤へ移ります。後方には先ほど通り過ぎてきた県立中央病院やガスタンク(写真左)が小さくなっており、代わって前方の山宮団地(写真左2)が大きく見えるようになってきます。後方には富士山(写真右2)も綺麗に見えますが、ここからの上り坂はやや大き目。運動不足の身には北風と相まって二重に堪えます。
千松橋から約600mも進んだでしょうか。暫く次の橋も現れませんでしたが、前方に八幡橋が見えてくるといよいよ終点の町となる山宮町へ入ります。既に左手(西岸)は敷島町となっており、荒川サイクリングロードは甲府市の最西端部を北に向かって進みます。もう中心部から外れているため周囲に大きな建物は殆どありません。土手上に上れば住宅街の中に田園の広がる閑静な景色が広がっています。
当日は北風が強く、漕いでも漕いでもなかなか進みません。ということで暫し土手上の四阿で一息。四阿はこの先にもありますが、景色的にはここが一番いいかもしれません。四阿で一息ついたあと更に進みます。四阿の先には「←千松橋 八幡橋→」というトーテンポールが立っており、前方の八幡橋までもう少しです。ただこの辺りからの河川敷は急に狭くなり、それにつれてサイクリングロードの道幅も狭まります。
八幡橋は右手(東側)の山宮町と対岸の敷島町を結んでいる橋で、東岸のたもとには2つ目の四阿が建っています。ここまで来ると甲府市中心部に近かった千秋橋や飯豊橋周辺のような賑わいはありません。人けが少ないのでやや寂しい感もありますが、落ち着いて散策するならむしろこちらの方がノンビリできるかもしれません。八幡橋を潜ると右手に北西中学校が現れます。甲府市の最も西に建つ中学校で、ここまで来ると残りも僅かです。
北西中学校まで進むと終点横のアピオ祭儀場(写真左)が見え始めます。アピオ祭儀場の上には敷島台地(写真中央)が広がっており、その上には敷島総合公園の自然休養村センターや敷島緑陽園などの施設が並びます。敷島総合公園側から見ると(写真右)サイクリングロードを眼下に甲府盆地まで景色を一望です。
北西中学校を過ぎると対岸には敷島北小学校が現れます。このころには荒川の水かさも随分と減っており、川底には大きな岩がゴロゴロと転がっているのが見受けられます。また農業用の水門でしょうか、荒川から水を曳く水門がありサイクリングロードはその上を通っていきます。道幅は2mもなく、一時的にですが極端に狭まります。
いよいよ終点間近です。前方には3つ目の四阿の建つ山宮河川公園が見えてきます。それほど広い公園ではありませんが、敷地内には子ども用の遊具などもあり落ち着いた雰囲気の公園です。
最後のカーブとなる山宮河川公園(写真左)の先を右へと曲がっていくと、「←八幡橋 金石橋→」というトーテンポールが現れ、その前方に荒川サイクリングロードの終点となる金石橋(写真右)が見えてきます。
トーテンポールから先はやや勾配の大きい坂道となっており、最後の上り坂(写真左)を上っていくと荒川サイクリングロードの終点である金石橋へと突き当たります。
一般道へ出るには金石橋へ突き当たった場所を右へ曲がると(写真左)約10mほどで県道7号へと至ります。写真右は金石橋の上から撮影したもので、「止まれ」の標識を右へ行くと県道6号の千塚交差点へ抜けていきます。また左へ曲がると昇仙峡の入口となる長潭(ながとろ)橋へと至ります。更に金石橋を写真手前に進むとアピオ祭儀場となり県道101号へと突き当たります。
上の写真は前述した敷島総合公園の近くから撮影したものです。中央の橋が金石橋で、突き当たりを右へ曲がると県道6号の千塚交差点へと続き、左へ曲がると昇仙峡入口の長潭橋です。蛇足ですが敷島総合公園の梅は2005年2月23日現在で5分から6分咲き。品種によってバラつきがありますが、2月末から3月上旬には見ごろになると思います。
総 評
今回の南から北へは全線で上り坂。写真を撮りながらだったので片道4時間ほどかかりましたが、普通に走れば往復4時間で充分だと思います。冬季のため色合いが少なくてちょっと残念でしたが、四季おりおりを通して楽しめるサイクリングロードです。その内に夏期のページでも作ってみたいと思います(いつになることやら)。
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