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438 林道剣抜大洞線 2007年度版(ページ3) 南部町成島地区と旧富沢町福士地区を結ぶ山梨県南端部にある林道。
評価や閉塞感は季節によって異なります(A=良い/E=悪い/平均はC)。閉塞感は0から10で数字が大きいほど閉塞的。経緯度は大体の目安です。
延長:19120m(実走20.6km) 未舗装区間:10.3km 舗装路面:C 眺望:B 爽快感:B+ E 138.25.07 N 35.16.51
幅員:4.0m 冬季閉鎖:不明 /固定ゲートなし 未舗装面:C 雄大:B+ 閉塞感:1 2007年10月21日 晴/雲

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剣抜大橋を過ぎた道は北東へ、そして南東へと向きを変えながら概ね東へと向かいます。樹林帯の道となるので景色的には単調ですが、約8.2キロ地点(写真左)まで進むと僅かに北西方向が開け静岡県境の山々を見通します。
当日は林道の杭から約8.4キロ地点で深さ10センチ程度の段差(写真上左)を何ヶ所かで見受けました。一般的なセダン型でもそれほど問題にはならないとは思いますが、やや大きめの石が転がっていたので或る程度は注意した方がいいかもしれません。約4.5キロ地点から続いてきた未舗装路は約8.6キロ地点(写真上右)でコンクリートの舗装路へと変わり、このとき北西方向に再び静岡県境の山々(写真下)を望みます。  路面拡大  
舗装路になってからも時おり周囲の山々を望みますが、殆どの場合が木々を通してなので景色的には単調です。林道の杭から約9.2キロ地点(写真左)まで進むと鋭角的に右へと切り返し、ここからは1006m峰へ向かって北西方向(写真右)へと進みます。
林道の起点から約10.1キロ地点まで進むと側壁に林道の開設標(写真左)が出ており、このとき谷側に視線を移すと身延町方向の景色を見下ろします。JR身延線の大島駅(写真右)を中心にして手前には富士川が流れ下っており、背後の山腹には三石山線の道筋が長く続きます。  写真右拡大  
1006m峰を廻りきると一転して南へと転じ、林道の杭から約10.6キロ地点(写真左)では前方に篠井山線の延びる1172m峰が見え始めます。ちなみにこの山の稜線が南部町と旧富沢町(現在は南部町)の町界になっており、ここまで来ると南部町(合併前の)側の剣抜大洞線も残り僅かです。
林道の起点から約11.1キロ地点(写真上左)まで進むといよいよススキ道が現れます。このススキ道は剣抜大洞線のちょっとした特徴にもなっているので行かれた方は覚えている方も多いのではないでしょうか。このころになると右手には先の身延町大島地区(写真上右)を再び望むようになり、なおかつ遙か北方には北杜市や韮崎市、甲府市や山梨市といった眺望(写真下)を見通します。その上部には盆地北部の茅ヶ岳1708.6mや曲岳1642.4mといった山々が連なりますが、ただ同地点から茅ヶ岳までの距離は直線で約60キロもあるので或る程度空気が澄んでいなければ難しいかもしれません(写真下のパノラマはミスりました)。  写真下の拡大  
約8.6キロ地点から続いてきた舗装路ですが、林道の起点から約11.2キロ地点(写真上左)まで進むと未舗装路へと変わります。特に大きな段差等はありませんが、砂利を敷き詰めたような路面(写真上右)には大きめの石が目立ちます。約11.5キロ地点(写真下)まで進むと鋭角的に左へと切り返し、ここまで来ると月夜の段までは残り僅かです。
林道の起点から約11.7キロ地点(写真上)まで進むと平坦な場所へと至ります。周囲は鬱蒼とした樹林地帯となっているものの、土地そのものとしては右手側(写真下左)も左手側(写真下右)も平坦な地となっており、同地点一帯が月夜の段の中でも最も東寄りに位置する場所と思われます。
短いアップダウンはあったものの概ね上り坂の続いてきた道ですが、約12.0キロ地点(写真上左)からは明確的な下り坂へと転じます。この先にも短いアップダウンはあるものの同地点が剣抜大洞線の最高所となっており、標高としては1130m前後といったところです。下り坂となった道はススキ(写真上右)の間を縫って南へと進みます。そして約12.1キロ地点(写真下)まで進むと「さかい橋」へと至り、その手前には「山小屋 月夜の段」と書かれた杭とともに小屋が建っています。
月夜の段の「段」は山の中の平らな場所を指し、その名称は「樹木が鬱蒼と茂り、昼間でも太陽光が地表に届かず、月夜ぐらいの明るさしかない」ということから名付けられたそうです。現在は南部町と合併したためホームページそのものもなくなってしまいましたが、合併前の旧富沢町の公式ページには「戦後まだ間もない昭和二十二年には開拓のため十八戸が入植したが、苦しい開墾作業の甲斐もなく二年後には全戸が下山を余儀なくされ、今では苦闘の跡もササの中に埋もれてしまっている」と書かれていたことからも生活するには厳しい土地柄だったようです。ちなみに同地点に架かる「さかい橋」の竣工は昭和61年1月となっており、それまでは車輌が入るのも大変な場所(或いは全く入れなかったのかも)だったと思われます。それにしても小屋はここ数年の間にすっかり痛んでしまいました。修復しないとそう遠くない将来に倒壊してしまうかもしれず、このまま朽ちさせてしまうにはちょっと惜しい気がします。
  現在地     このままだと倒壊しそうな小屋     元の画像に戻す  
林道の起点から約12.6キロ地点(写真上)まで進むと広く開けた場所へと行き着き、同地点からはほぼ等分に分かれる形で篠井山線が左へと分岐(写真下左)しています。分岐点の左側には篠井山線の看板(写真下中央)が立っているので間違うことはありませんが、剣抜大洞線は同分岐点を右(写真下右)へと進みます。
篠井山線↓
篠井山線に林道の看板が立ったのは2003年から2004年にかけてのころに思います。残念ながら現在は一般車両通行禁止となってしまいましたが、それ以前は2分から3分ほど進んだ場所で道が途切れており、その先には登山道のような細い道が続いているだけでした。方向的には篠井山の方向に向いており、1172m峰や1119m峰の尾根に沿って篠井山まで行けると成島登山口や奥山登山口より便利そうなのですが、果たしてどうなのでしょうか。
さて篠井山線との分岐点(写真上)を右へ(写真下左)と進みます。約50mほど進むと(写真下中央)右へと曲がっていき、そのカーブの途中に剣抜大洞線の古びた看板(写真下右)が出ています。現在は南部町と合併してしまいましたが、看板には「南部町←→富沢町」という表記が見られここからは旧富沢町へと移ります。
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